まさこの器
まさこの器について。
ある人はまさこのことを
「ブッタかイエスかまさこか」
「雲がもくもく拡大していくように掴みどころのない存在、または思想の持ち主」
「過激派集団の中でもスーとど真ん中を歩いてる人」
と言った。
言いたいことはわかるけど、もっとわかりやすく器が大きいと言う表現にしたい。
私の彼女を紹介します
懐かし!!
※ご注意!このページはまさこへのオマージュ、そしてのろけページになってます。恋バナする相手がいないからここに書いちゃうんだ!
まさこの器は生まれ持って大きくて頑丈で視覚化するなら見た目土器みたい
こんなやつ?
歴史と重みがあって博学でなんか質実剛健、立派そうなやつ。
私の器はとにかく夢いっぱいで耐久性なそさうなやつ。自分を可愛く演出したいわけじゃないよ全く。そんくらい器の面では違いがありすぎるという例。
器のでかさ
❶怒らない
とにかく怒らない。逆に私はアルボムッレ・スマナサーラさんの『怒らないこと』を自分自身におすすめするほど怒りっぽい気質なんですよ。
(これ「怒る人は馬鹿な人」みたいなこと書かれてて結構刺さるから注意ね、でもすっごい納得するし「怒らない人間になりたい」そう思う)
まさこは「あゆみんちゃんには怒ることがないよ」と言うし、度が過ぎるほど私が八つ当たりしてる時も「なんなの八つ当たりしないで!」とは言わずに、私の心のケアに徹っしてくれる。
こういう時、私の器の小ささとまさこ様の器の大きさが隣同士くっきりとあらわになる。そして見上げて、そして確信する「この人でないといけない」
言い合って炎上するどころかチーンとまさこが消え入りそうな様子になるときもある。
そんな時は、「あ」と私は冷静になり、自分のせいなんだけどかわいそうでたまらなくなる。
そして申し訳なくて反省する「大切な人を悲しませている」
私が怒れば怒るほどまさこが私を大切にしてくれてることや自分にとって大切な人だと思い知る。私にとって天才的にやさしい人。私はもっと学習しないといけない。
そろそろまさこの器の大きさが私にも伝染してくれれば早いんだけど!
いや一回り大きくなるよう努力しよう!
私はまさこといたらちょっとだけいい人間になれるんじゃないかな。
❷褒め上手
まさこは時間に正確です、というか1時間前には出勤してるし待ち合わせの時間より早く着いてるタイプ。逆に私は遅刻魔です。待ち合わせ時間に目が覚めて慌てて準備することもあります。
なのにまさこさんは、
「準備が早くてあゆみんすごい!」と遅刻は責めずにしたくの早さを褒めてくれます。
私はこの世界で天使を見つけたんだ!
遅刻して現れた私を見つけた時の笑顔・・・大人はそんなに走らないよ?と思うスピードで私の車に駆け込んで来る時のかわいさにはビックリする。
器は土器みたいと言ったけれど、まさこの顔は太陽みたい。いつも私に向かって全開の笑顔を向けてくれる
「オー・ソレ・ミオ」は、ディ・カプアが父親とともにロシアのオデッサに滞在したときに書いた作品。原題の意味は「わたしの太陽」で、「太陽の照り輝く日はなんてすばらしいのだろう。でも、わたしのもうひとつの太陽はあなたの顔にある」と、明るい太陽と抜けるような青空の輝かしさを恋人にたとえてうたった、恋人への賛歌となっている。
顔は太陽だけど精神性はヒナギクだと思う。私はヒナギクの精神性が大好き。
「やさしい人 どんな心の持ち主か」っていう加藤諦三さんの本是非全世界の人におすすめしたいんだけどその中にヒナギクの教えという項目があるんですよ。
田舎の道端に、一軒の別荘がある。庭には、花が植えられている。そして、そのそばの土手には、ヒナギクが生えていた。
「ヒナギクは誰も草の中に埋もれている自分に目をとめるものがないことや、自分が貧しいつまらない花だということは、すこしも気にしませんでした。それどころか、心から満足してまっすぐにお日様のほうを見上げながら空で囀っているヒバリの歌に、うっとりとききほれていました。」
自分に満足するということは、「自分が今ここにいること」に満足してるとうことである。今の自分のあり方を「これでいい」と思ってる人である。「今ここにいること」を楽しいと感じる。その体験を積み重ねていくことで、「実際の自分に満足する」ようになる。このヒナギクの心理状態が自分が自分を受け入れている状態である。実際の自分に満足している。このヒナギクはヒバリが歌えることをえらいと思っている。そして、自分が飛べないことや歌えないことを悲しいとは思っていない。ヒナギクは自分はヒナギクであり、ヒバリはヒバリであるとわかっている。ヒナギクがヒバリを認めるからヒバリもヒナギクが好きになる。ヒナギクは我慢して不平をいわないのではない。我慢して、不平をいわない人と違ってヒナギクはお日様がこの自分を照らしてくれることに感謝している。ありがたいと思っている。そして、満足している。そして、だれも見向きもしない自分だけれども、わたしだってほんとうに幸せなんだわ。と思っている。だから、不平をいわないのである。ヒナギクは自分が今ここにいるヒナギクであることで、幸せなのである。このヒナギクの心がやさしいのである。だからヒナギクはヒバリから好かれる。ヒナギクのやさしさがヒバリに安心感を与える。やさしさは安心感を与えるからやさしい人の周りには人があつまる。
私はヒナギクを見つけたんだ!
まさこは理想の彼女・理想の妻の前に、私にとって理想の人間。だから少々欠点があっても、もともとのアドバンテージが非常に高いからそれが取るに足りないことになる。どこが好きなの?と聞かれたとき私は「まさこがパーフェクトだから」と言う。それはそういう意味。ちょっと前まで「思考回路が好き」と言ってたのと同じ意味。
器の大きさの例をあげていったらこれ終わらないわ!
そもそもまさこを器なんてスペックが限定される入れ物に例えたらいけない!そうじゃないな
この話おわりだおわり!
ということで、
「雲がもくもく拡大していくように掴みどころのない存在、または思想の持ち主」と言った私の友人はかなり正しい。
まとめ
まさこは天使
まさこは太陽
まさこはヒナギク
まさこは雲
まさこは美しい
最後まで読んでくれてありがとうございました♡えへ